【動画】哲学の「て」第24回

 タイトルを書いてて、自分が、二十代半ばなこと改めて再認識してビビる。あんど引く。そしてちょっと泣きたくなる。

 さておき、「二十代半ばで出会えたもの」である。
 ネット上で、様々なサービスに触れ、コミュニケーションの場に身を置いてると、しばしば遭遇するのが、自らのプロフィールを書くと言うことだ。
 コミュニケーションをしたい、と言うのは大前提で、すると、いかに他者から興味を持ってもらえるか、と言うことは個人的には最大の関心事だったりする。それも、ただ目を引くだけでは駄目で、自分をしっかり表現したプロフィールに共感してもらえなければ、意味が無い。だから、プロフィールを書くことは、毎度、頭を悩ませる。

 中でも、これまで困ることが多かったのが「座右の銘」と言う欄だ。
 個人的には、この欄、どんなプロフィール欄にもあるわけでもないが、あると途端に頭を悩ませる、難題だ。
 なにせ「座右の銘」は基本的に短い言葉が一般的だ。僕の信条として、「一周」という概念がある。これが、なにか普遍的な意味を持ちつつ、短い文言で表されている箔の付いた言葉でもあれば、迷わずそれを座右に据えると言うくらい大事にしたいと思ってる考えなんだけども、つまりは、物事は簡単に断じられない。色々な側面があって、その様々なことを踏まえるということが大事だ、と言う事。つまり、短いセンテンスで、何らかのスタンスや価値観を表明すると言う「座右の銘」と基本的に相性が悪いのだ。

 僕が、駄々らに文章を書くのもそこにある。端的に断言すること恐怖症なのだ。

 さておき。で、出会えたのものとは、である。
 
 それは、ある哲学者の言葉。

 哲学者は、これは、学校での教え方の問題でもあると思うのだけど、特定の主義主張者として、登場する。こうこうで、二元論を唱えたとか、身体と精神の関係性についてこう論じたとか、過去形で語られることからも、どうしても、その存在の死してなおその先まで伸び、届かんとしている思考が切断されて語られてしまって、それが、安易な断定の臭いを感じてしまう。
 
 だけど、その臭いを感じない思想に出会えた。

 

 この動画で出会った「トマス・ネーゲル」と言う哲学者は、断定している。明確な答えを出すなんて簡単にできないんだよ、っと。

「拮抗する主観と客観との間で危ういバランスをとりながら生きることが、人間の条件であり、人間としての最大の真摯さである」

 はい、これ、もう「座右の銘」ね。

 この文ね。諦観と力強い希望を感じるいい文だと、思う。こういうあり方をして、ネーゲルは「Humility(謙遜)」と表現したらしく、それもいい言葉だなと思うのだけど、謙遜だけだと、意味が通じないしね。

 踏まえて、尚、進む。この姿勢を忘れずに行きたい。


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