【小説】「苦役列車/西村賢太」低めのボールを投げるということ。

 6月の読書は期せずして、文学系が多かった。円城塔の「オブ・ザ・ベースボール」に始まり、西村賢太の「苦役列車」。そして、阿部和重の「インディヴィジュアル・プロジェクション」。
 どれも、ここで、語るに足る、刺激を孕んでいたのだけど、とりあえず、僕が抱える問題意識の中で、根っこが深い奴に当たった作品ということで、「苦役列車」を挙げたい。

 苦役列車、である。

苦役列車 (新潮文庫)

苦役列車 (新潮文庫)

 芥川賞の受賞でも話題になったこの作品は、著者である西村賢太氏の私小説でもあり、貧困と自身の鬱屈さに、翻弄されながら日雇いの仕事で糊口を凌ぐ青年「北町貫多」の日常を通して語られる。
 元来、コミュニケーションが不器用だった貫多は、小学校の時に、父親が性犯罪で逮捕されるという事件を経て、周りのコミュニティから排斥されるようになってしまい、また、自身のアイデンティティに父親の様な悪しき意識が根付いてるのではと言う恐怖感から卑屈さを抱え込むようになってしまう。
 そこで獲得してしまった卑屈さを抱えて行くのかとおもいきや、他者と交わることも出来ない故に肥大してしまった自己承認欲求も同時に抱えることとなり、卑屈で尊大で他者との距離感を巧くつかめないキャラクター「北町貫多」が出来上がったと、筆者西村賢太は自己を分析し描いている。

 このキャラクター、作中では、いわゆる「駄目人間」として描かれている。正規のルート、教養と愛情を受けることが出来ずに育った人格として、貫多は存在するのだけど、そこに愛惜や憎悪の様なものはあまり投射されていない。不幸な境遇ではあるはずだし、事実そうなってしまった因に貫多の責は無いのだけど、そこを訴えることはせず、不器用な貫多のダメさと、それゆえに生まれる愛嬌、そして、読者のコンプレックスをくすぐるようにこの作品は描かれている。

 その描かれ方は、ひとえに「人間失格」だと個人的には感じた。歪な自意識の発露を若干の憐憫さをもって描き笑いと共感を誘う、と言う。
 そういう自己を形成してしまう危険の多き現代社会と言うテーゼがあるようにも感じなかったので、まぁ、とは言っても、貧困や格差の固定化、親の経済状態や教養による子どもへの影響と言った問題を読み取れなくはないが、とかく、この作品の面白さはそこには無い。
 そういった、現代社会特有の病理にフォーカスしていないと言う意味でも、やはり人間失格なのである。
 もちろん、露悪の匙加減が巧妙でなければ、汚らしくジメジメとけったいな文章になるわけで、その点、西村賢太氏は筆力のある方なのだと思う。
 
 僕が感じたのはこの作品への問題は、経済的にも人間関係的にも(その二つは相互触媒なのだけれども)社会の底辺で煩悶する青年の喘ぎの様なものを、叫び照らしだすのではなく、そこを笑い、興味深い、味深い、と言った回路で消費してる点にある。

 太宰が、そして西村賢太氏が描こうとした、自意識の歪さや、そこから生まれるままならなさと言うのは、大小あれど、人が皆持っているものだと思う。
 そして、そのままならなさが大きすぎて圧し潰されてしまいそうな、生きるか死ぬかと言う悩みにまで肥大させてしまってる人が、恐らく居る。
 その人に、この作品は届かないのではないか。

 この悩みは、物語の効果、射程。と言った問題系として絶えず僕の中にある。

 絶望を物語はどう描くか。絶望から物語でどう救うか。

 西村賢太氏は、自身がそういった底辺に居た方だ。無論ご自身が、居た場所を底辺と感じているかは別だが、少なくとも、私小説のような形でそれを底辺の様に描いている。そして、それを文学に、エンターテインメントに、変換され、金銭と名誉を生み出した。

 西村賢太氏のやり方が間違っている訳ではない。それはそれで、同じような境遇に居る人の希望になるかもしれないし、北町貫多よりも社会的に恵まれながらも、自意識に悩む人に「さげすみ」の感情を想起させ、バランスを取る一助としての機能も有していると思う。
 それはそれで物語の効用で素晴らしいことだと思う。

 しかし、自意識を軽妙な露悪さをもってユーモラスに語れない、文学的素養を持ちあわせておらず、這い上がるための糸に手が届かない、多くの「北町貫多」にとっては、この作品はより深い絶望を喚起する物でしか無いのではないかと、どうしても思ってしまう。
 
 最底辺。物語にすることで相対化すると言う光すら届かない、深い深い闇の領域を物語はどう描くのか。描けないのか。

 明るさを描いた作品には、こういったことを感じない。そもそも世界が違うと思ってしまうから。でも、暗さを描いた作品にはどうしても、その光の届かない世界をなんとかする責任というか役割みたいのを期待してしまう。
 そんな思いを新たにした作品だった。


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