学問中途リアル

 最近、僕が興味を持って行ってることを、なんと表して良いのかわからない。結構な時間を割いてるし、十分に趣味と言えるものだとも思うのだけど、巧い言葉が見つからないので、いまいち、自らのプロフィールにできない。
 
 多分、一番近いのは「勉強」だと思うんだけど、僕の中で勉強というのはストイックに行うものというイメージがあって、それには適っていない。目標があったりするわけでもないし、作りたい成果物があるわけでも、理解度をチェックするステップがあるわけでもないので、その言葉を使うのは憚られる気がする。そんな本気度はない。

 「読書」も違う気がする。手段として、読書の形を取ることはあっても、やはり読書の持つイメージとは違う気がする。エンタメやフィクションを読まなきゃ読書じゃないとまでは言わないけど、でも、あるテーマに興味を持ちってなると、やはり興味の中心はそのテーマ自体であって、その情報をどこから得るかは重要じゃない。事実、僕場合は、その手段がネットのシンポジウムの音源とかの場合もあるし。
 
 端的に言えば、学問体系では人文と言われる分野を通して、世界をよく知りたい。知的好奇心の赴くままにすこしずつ知見を増やして、特定のトピックに対して、ある程度明確で自信を持った形で一定のスタンスを持てるような知性を獲得したい、と言うことなのだけど、まぁ、こんなような文句を並べ立てるのはこっ恥ずかしいし、そもそも長い。

 日本において、と言っても、海外の事例を知っているわけではないけど、とにかく、学問的な勉強は学生が、学問機関に所属している人間がするもの。社会人になったらそれからは切断され、するなら資格とか語学とか経営学とかマネジメントかビジネスに直結するものと言う棲み分けが在る気がする。

 加えて、先に書いたとおり、勉強はストイックに、高い学問的志を持ってすべきみたいなイメージもある気がする。これは俺だけが抱いてるイメージかな。
 でも実際問題、結構受動的に居ても、学問の世界へ構造的にコミットせざるを得ない立場、大学生と言うものでなくなると、途端にそのコミットは難しくなる気がする。

 まず、知りたいトピックがあった時、それが、学問体系ではどういう風に呼ばれてるのか、どういった研究分野に属することなのか知らないと本も探せない。
 頑張って、アマゾンの検索ボックスに入れる単語を導いたとする。分野に拠ってはいっぱい検索ヒットしちゃうさそりゃ。どの本が良いのか。概略的なのはどの本か。専門性が高いと、レビューはついてない。とりあえず買おうにも高いし、場合によっては何冊も目を通さなきゃいけないかもしれない。
 読んでて分からないところを解決してくれる人も居ない。理解できないのに、字面を追うのは大変な労力だ。理解できたとしても自分の理解がまっとうなのかを確かめることも至難の業になる。
 とまぁ、独学って結構困難ではないかと思う。

 すると、ある程度助走を点けないとその壁の向こうには行けないから、やはり、学問はヤル気を問う。覚悟を問うのだと思う。

 と、書いてて、大学という機関は、その術を学んどく機関なんじゃね思ったけど、でもまぁ、やはり、それまでの学問的優位性から離れるとハードルが高くなるの事実だ。 
 
 大学以外のルートで、誰もが、ゆるく、知的生産にコミットできる場があればいいのに、と最近思う。ないなら、作ってみたいとも。

 その為には、自分でそれを行いつつ、そういう行い、そういうモチベーションをパッケージング出来る言葉を探して、有り様をある程度確立しなければとか、そんなことを考えてるのでありました。

【動画】哲学の「て」第24回

 タイトルを書いてて、自分が、二十代半ばなこと改めて再認識してビビる。あんど引く。そしてちょっと泣きたくなる。

 さておき、「二十代半ばで出会えたもの」である。
 ネット上で、様々なサービスに触れ、コミュニケーションの場に身を置いてると、しばしば遭遇するのが、自らのプロフィールを書くと言うことだ。
 コミュニケーションをしたい、と言うのは大前提で、すると、いかに他者から興味を持ってもらえるか、と言うことは個人的には最大の関心事だったりする。それも、ただ目を引くだけでは駄目で、自分をしっかり表現したプロフィールに共感してもらえなければ、意味が無い。だから、プロフィールを書くことは、毎度、頭を悩ませる。

 中でも、これまで困ることが多かったのが「座右の銘」と言う欄だ。
 個人的には、この欄、どんなプロフィール欄にもあるわけでもないが、あると途端に頭を悩ませる、難題だ。
 なにせ「座右の銘」は基本的に短い言葉が一般的だ。僕の信条として、「一周」という概念がある。これが、なにか普遍的な意味を持ちつつ、短い文言で表されている箔の付いた言葉でもあれば、迷わずそれを座右に据えると言うくらい大事にしたいと思ってる考えなんだけども、つまりは、物事は簡単に断じられない。色々な側面があって、その様々なことを踏まえるということが大事だ、と言う事。つまり、短いセンテンスで、何らかのスタンスや価値観を表明すると言う「座右の銘」と基本的に相性が悪いのだ。

 僕が、駄々らに文章を書くのもそこにある。端的に断言すること恐怖症なのだ。

 さておき。で、出会えたのものとは、である。
 
 それは、ある哲学者の言葉。

 哲学者は、これは、学校での教え方の問題でもあると思うのだけど、特定の主義主張者として、登場する。こうこうで、二元論を唱えたとか、身体と精神の関係性についてこう論じたとか、過去形で語られることからも、どうしても、その存在の死してなおその先まで伸び、届かんとしている思考が切断されて語られてしまって、それが、安易な断定の臭いを感じてしまう。
 
 だけど、その臭いを感じない思想に出会えた。

 

 この動画で出会った「トマス・ネーゲル」と言う哲学者は、断定している。明確な答えを出すなんて簡単にできないんだよ、っと。

「拮抗する主観と客観との間で危ういバランスをとりながら生きることが、人間の条件であり、人間としての最大の真摯さである」

 はい、これ、もう「座右の銘」ね。

 この文ね。諦観と力強い希望を感じるいい文だと、思う。こういうあり方をして、ネーゲルは「Humility(謙遜)」と表現したらしく、それもいい言葉だなと思うのだけど、謙遜だけだと、意味が通じないしね。

 踏まえて、尚、進む。この姿勢を忘れずに行きたい。


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一日坊主

 書くと書いてから二週間がたった。あーあ。その間に起きたこと思ったことを、これから書く文章に凝縮できるか、って言うと無理な訳で、以前ブログやミクシィでそれなりの長さの文章をある程度定期的に書いていたものだけど、よく出来てたものだ。

 この2週間、何があったか。
 思考の整理学に刺激されて、メモを取るようにしたことが大きいと思う。
 著者:外山滋比古さんは色々なメモ術。また、メモからノートに移したりと言う、まさに整理術を紹介していたが、それが知的生産につながるとはいえ、こまめな癖は到底自分には不可能だと思うのでひたすら、気づいたことを書きつけるスタイルにしてみた。

 少し前から、わぼろぐと言う所においてある、シンポジウム、講義、討論、対談、等の中から興味のあるもの、主に人文系の物を落として聞くようにしてるのだけど、密度の濃い議論を聞くと、色々と頭が刺激される。
 拙い頭、足りない知識とは言え、右から叩くと、左の耳からなんかポンと落ちるわけで、よくよく見てみたら、みみくそではないぞと、ちょっと書き留めておこう、と言うくらいのノリではあるんだけど。

 多分、今後、そのメモが、このブログのネタ帳になるのだと思う。

 折しも、昨日、大学時代の友人と飲んで、彼とはよく二人で何時間もあーだこーだどーだと喋るわけだけど、そこで、認識を改めさせられたというか、やっぱり行動してかなきゃいかんなぁと思わされたので、その一歩、また、(言葉が出てこない。なにか大事なことを忘れないための、忘れた時に見て思い返すような物の事を何と言うんだったか。備忘碑とか、刻印とか、なんかそんな感じの単語。)なんかその奴としても機能するようにと、ここに書いてみた。

 そんな感じ。


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【活字】思考の整理学

思考の整理学 (ちくま文庫)思考の整理学 (ちくま文庫)
(1986/04/24)
外山 滋比古

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 毎年春に成る度に、大学生必読。東大生は皆読んでる。みたいな踊り文句のPOPと共に、本屋の平台に並ぶベストセラー「思考の整理学」を読んだ。

 著者は、外山滋比古と言うお方。社会学系の先生だと思うんだけど、とりあえず、結構な権威のお方で、まぁ、その人が知的な営みにもそれなりにコツがあるねんで、と数ページのエッセイ形式で、物を学ぶ、考える、生み出す上での心構えみたいなのを教えてくれる本。

 知的営みと言う、大上段に構えながらも、結構、フランクな語り口で、文中の例なども、身近なものが多く読みやすい。

 その中で、まぁ、学問とは何か、とか、興味を広く持って、様々な視点から物を見なさいだの、書いてあって、それぞれは、そんな眼から鱗ってほどでもなくて、あぁ、そうですかい、って感じなんだけど、とかく気になった事が、アウトプットせよ、というテーマ。

 考えとかアイディアと言うのは、とにかく不思議なもので、ともすれば生きているのかもしれないと思うほど、複雑怪奇で面白い動きをするんだそうな。

 考え続けて、考え続けて、もう駄目だ、と一晩寝たら、朝起きたら解決策が思い浮かんでるってことがしばしばあるよ、と。

 脳みそだって、体で、速く走るためにベターなフォームがあるように、頭を上手く回転機能させるのには、それなりの方法論があるのだと。

 で、その一つとして書かれていたのが、アウトプットせよ、と言うお言葉。 

 頭の中で悶々とさせていたって、駄目だ、と。とにかく、見切り発車で書いてみろ。書いてる内に頭の中が晴れていくこともあるし、思いもよらなかった発想を呼び寄せることもある、と。

 ツイッターを始めてから、頭の中のある一定の領域をごそっと文字に変えるということをかなりサボってきたので、うまくいくかわからんが、それをできるかぎり試してみよう、と言うことで、このブログ。

 最近、哲学、社会学アーキテクチャから、人間関係や倫理、自己と他者、みたいな話題まで、興味が多岐にわたりすぎてるとは感じていたので、いい機会に、もうちっと、頭を上手く回す努力をしてみたい所存。


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